熟達者が示す高いレベルのスキルの多くは意識していないレベルで行っている。だから、彼ら自身が高度なレベルでスキルを発揮しているときに起きっていることを説明するのは困難になっていく。例えば、自転車を乗れる人にとって、自転車を乗れない人に自転車の乗り方を教えることは簡単なことではない。そして、熟達者は熟達すればするほど、自分の脳の中に何が起こっているのかを説明するのが難しくなる。このことから、一般人に対して熟達者が説明していることはあまり信用ならない。すなわち、いい選手は必ずしもいいコーチになれるとは限らない。しかしながら、教師の場合はほかの領域と異なっている。ほかの領域の熟達者はいかにして自分の専門的技能を発揮するのかを言語化しなくても特に問題はない。その一方で、教育の場面では、教師は自分の技能や持っている知識を学生に教える必要がある。したがって、教師として、専門的技能の言語化しにくいことは超えらなければいけない。そのために、技能の自己内言語化が必要とされる。