と、恋や出会いの象徴として歌われることの多いさくらを用いて、喪失と、それでもすがりつこうとする惨めな姿を表現してみせた。ここまで醜態をさらしたのは五十嵐さんだけだ。トム・ヨークやリヴァース・クオモが通った、苦しみをさらけ出しながら音楽を産み続けるという道程を、表面だけ捉えてサクセス・ストーリーとして解釈し、おこがましくもぞろぞろと付いてゆく宗教家もどきのミュージシャンたちとは違う。初めてシロップを聴いてから、いろいろと日本の音楽にも触れるようになったが、気取ったり隠しごとをしたりせず、ストレートに感情表現を続けたという点において五十嵐さんは唯一無二の存在だった。